ながら水タバコ

アラブ世界でも、ながら水タバコは、カフェでよく見られる光景。だが、問題は、ふにゃふにゃした吸い口を両手を使わずにどうやってキープするか、という点。

イラン南部バンダレ・アッバースのカフェで見かけたこの水タバコは、吸い口がまっすぐな一本のパイプでできているので、位置を一定に保つことができる。したがって、ごらんのように、ドミノを楽しみながら、水タバコを吸い続けられる、という次第。
一見和気あいあいだが、このグループ、時折、激しい怒号を飛ばしながら、卓を囲んでいた。真剣勝負そのものだった。

エビのケバブ、なんて

あるんですね。ペルシャ湾に浮かぶゲシュム島というイラン領の島のレストランで食べました。ゲシュム島までは、ペルシャ湾岸のイラン側都市バンダレ・アッバースからフェリーで一時間半ほど。距離的には、あのアラブ首長国連邦ドバイからもそう遠くはない。だが、心理的距離はえらい遠い。

エビ4、5本を肉一個にみたてて豪快に串に刺したもの。なかなかイケます。写真はとらなかったのですが、バンダレ・アッバースでは、潮干狩りもできました。こぶし大のはまぐりがごろごろしていました。テヘランに持ち帰って、ワイン蒸しにして食べたら、絶品でありました。

仮面の女たち


 イランのペルシャ湾岸に、女性が仮面をしている地域があると聞いてはいたが、先日で訪れたバンダレ・アッバースでついに目撃した。ご本人の了解を得た上で、パチリ。年配の方々が多く、この習俗はだんだんすたれていっているようだ。

こちらは、バンダレ・アッバース中心部の観光客向けレストランで働いていた女性たち。どうも、仮面をつける習慣のない、内陸の遊牧系民俗の衣装のようだ。それにしても、極度に乾燥しているテヘランから、ペルシャ湾岸に出て来ると、もんわりとした湿気がむしろ心地よい。

ハーフェズ占い

 イランの街頭では、小鳥に自分の運勢を占ってもらうという小粋な占いがある。「ハーフェズ占い」。託宣は、イランの国民詩人ハーフェズ(1326頃−1389頃)の詩の一節だ。
 「多くのイラン人は子供の頃にハーフェズの詩を暗唱する。それぞれの家には、イスラム教の聖典であるコーランがあるように、ハーフェズの詩集があると言われている。ハーフェズ占いという占いは、このハーフェズの詩集を開いて、そこに書いてある詩から運勢を占うものである。」(鈴木珠里「詩の国イラン」、月刊誌「アジアウェーブ」1998年11月号)

テヘラン北部タジュリーシュの繁華街をぶらついていると、その、小鳥を使ったハーフェズ占い師にでくわした。一回引いて2000リアル(20円)。それにしても、小鳥は器用に占いの紙を引く。

筆者のために小鳥が引いた紙にはハーフェズの詩の一節と、こんな解説が書いてあった。

「あなたは、数多くの恋愛遍歴を持つ思想家であり決断力のある人物だ。あなたはこのところ、自分がすべきこと、すべきではないことに迷っている。ハーフェズは言う。自分の道を進むことが成功の道だと」

エルサレムの穴蔵カフェ

 先日、5年ぶりにエルサレム再訪を果たした。真っ先に行きたいと思ったのは、歴史の香りぷんぷん漂う旧市街かと思いきや、ユダヤ人側新市街のとあるカフェ。繁華街ベン・イェフダ通りからもそう遠くない。シャワルマやファラーフェルといったアラブ料理を「中東料理」と称していかにもイスラエルのオリジナル料理のようにしてしまうだけあり、イスラエル側でも、水タバコを出すカフェは少なくない。

ここがユニークなのは、客席の構造。よく「穴蔵」と呼んでいたが、窓のない蔵のような室内にキリムを敷き詰めてあり、ゴロンと横になって水タバコを吸うのが、いつしか至福の時間ということになってしまった。
 第2次インティファーダのさなかの2001、2年前後。エルサレムでもパレスチナ過激派による「自爆テロ」が頻発していて、「こんな密閉空間で自爆されたら、ひとたまりもない」と、おそるおそる足を踏み入れていた。最近は、テロがほとんど起きていないとあって、他の客もかつてに比べて、心なしかリラックスしているようでもある。
 ここは穴蔵以外に普通のイス席もあり、ビールはベルギービールも各種そろっていて、中東にあって欧州を感じられる場所でもあった。

手榴弾のモニュメント

イランの交差点などには、その町のシンボルをあしらったモニュメントが飾られていることは多い。イラクとの国境の街、イーラム州メヘランでは、なんと手榴弾のモニュメントが飾られていた。

メソポタミア平原の東の端にあるメヘランは、イラン革命直後、サダム・フセイン大統領率いるイラクの軍事侵攻を受け、数年間にわたってイラク軍に占領された。いわゆるイラン・イラク戦争の激戦地だったのだ。バグダッドからメヘランまでは、は起伏のない砂漠しかなく、防御が極めて難しい地形だ。
写真の男性たちがはいているボンタンズボンでもわかるように、住民の多くはクルド人。宗派は、クルド人の多数派イスラムスンニ派ではなく、シーア派が多い。街は、かつて自衛隊が駐留したイラク南部ムサンナ県サマワを思わせるのんびりとした雰囲気だった。

民兵ベスト

前の記事で少しふれた革命防衛隊傘下の民兵組織バシージ(バシジ)。大学テニスサークルのウィンドブレーカー風といったが、よくよく確認したら、写真のようなベストだった。

前出のホメイニ師帰国30周年記念式典にて。テヘラン商業組合が組織するバシージのようだ。なにやら、ひそひそ相談。「アメリカに死を」のシュプレヒコールのタイミングを相談しているのか?