ブログを移転しました。新ブログは

http://www.cafebaghdad.net/
になります。
2003年以降のほぼすべてのコンテンツがここに
集約されています。2009年の一部コンテンツに
ついても、近いうちにインポートします。

中東イベント情報ブログも場所を変えて
新装オープンしました。

http://www.cafebaghdad.net/event/

お手数ですが、ブックマークの変更等をよろしくお願いします。

モクタリさんがブログ開設

イラン国営通信東京支局の元記者、モクタリ・ダビッド氏が、ブログを開設したようだ。
読売新聞が報じていた。

http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/saitama/news/20090907-OYT8T01204.htm

前にこのブログでも紹介したが、モクタリ氏は、イランの「ジョーク集」を日本語で出版するなど、日本でのイラン文化紹介を積極的に行ってきた。
最近、那須高原にペンションをオープンさせたと聞いていたが、記事によると、去年暮れに、国営通信をやめていたようだ。ブログには、イランの改革運動を側面支援する狙いがあるようだ。

ブログアドレス:
http://iraneazad.jugem.jp/

雑誌「外交フォーラム」に

8日発売の日本外交・国際関係が専門の月刊誌「外交フォーラム」8月号に、イランについてのエッセイを寄稿しました。ご笑覧ください。

テヘランの街は、イラクからきた砂嵐で、黄色いもやがかかったよう。イラクの砂嵐といえば、春の3月ごろが普通なのに。これも、イランを襲う異変の一つ。政府は、これを受け、7、8日と臨時休日とすると決定。本当に、砂嵐が理由かいな?、勘ぐってしまうが・・・。

イラン人とピザ

イランでのピザの普及ぶりには目をみはるものがある。街をあるいてもあちこちにピザ屋の看板。まあ、ナンを主食にしているイラン人は、ピザとの相性は良いはずである。出前をしている店が多く、筆者も重宝している。最近のお気に入りは「ナポリ」という店で、イタリアばりの皮パリパリのピザを供してくれる。

(写真は、テヘラン中心部の有名ピザ店「ピーシュ・ハーン」)

イランの千里浜

ペルシャ湾のイラン側の都市バンダレアッバースの沿岸には、長い砂浜が続いているのだが、この砂浜の砂が相当キメが細かかった。表面が固いから、普通の乗用車でも、容易に通行が可能。
石川県羽咋(はくい)市の千里浜海岸を思い出した。ここも砂粒が細かくドライブコースになっている。別名「渚ドライブウェイ」。
イランの「渚ドライブウェイ」も、日本のそれに負けず劣らず風光明媚。人の拳ほどの巨大なハマグリもごろごろしていて、潮干狩りも楽しめる。

(写真は、バンダレアッバース沖のゲシム島の砂浜)

本来ならこっちがブルーモスク


イラン中部、サファビー朝の首都だったイスファハンイマーム・モスク。王政時代は、シャー(王)のモスクと呼ばれていた。世界でもっとも美しいモスク、と私は思う。

イランとパレスチナ

イランとパレスチナ。イラン政府は、イスラエルを国家承認しておらず、国営テレビは「レジーメ・シオニスティ」(シオニスト政権)と呼び、国家名であるイスラエルを使わない。だから、イスラエル全土の「解放」を掲げ、イスラエルの存在を公式には認めないイスラム原理主義ハマスを全面支援する。
では、国民はどうか。パレスチナの人々への同情心は誰しも抱くものの、イラン政府が、ハマスなどに多額の経済支援を行うことに対しては、「その金をオレたちに回してくれよ」という不満も聞かれる。エジプトやレバノンあたりでも聞かれる不満だが、民族が異なるということで、国民のパレスチナ人に対する距離感は、そうしたアラブ諸国よりも、さらに大きいのではないか。

写真は、今年2月、ハマス最高幹部ハレド・メシャル氏がイランにやってきた際、テヘラン大学屋外大講堂で行った演説で、レバノンイスラムシーア派組織「ヒズボラ」の黄色い旗を振る青年。ヒズボラシーア派の組織だし、ハマスとは若干違うだろうが、彼のような純真なパレスチナひいきの若者は、イランにどれだけいるだろうか。