アラブ・ポップスから見えるもの(その2)

さらに、カウム、ワタン、ウンマの3要素のほかに、2006年夏のイスラエル軍レバノン侵攻を受けたアラブポップス音楽の潮流も紹介。シェリーンの「わが心のレバノン」には、ワタン的要素に加え、「目には目を。でも始めた者が悪いに決まっている」との歌詞から、アラブ民族主義的歌に通じるものもある、とした。

最後に、中町氏は、
カウム(アラブ民族主義)は、反イスラエル、反米的主張と表裏一体で、紛争が起きるたびに現れる。人道的主張として、常に一定の支持が得られる。
ワタン(一国ナショナリズム)は、庶民感情へのアピールが大きく、いわば「癒し系」。政府や企業の思惑を反映して、「国策」と一体化する危険がある。
ウンマイスラーム主義)は、国家、民族の枠を超えた連帯意識、グローバルな連帯につながる反面、宗教の枠を乗り越え、排他主義を克服するという課題もある。
と3要素の特徴をまとめた。

【発表後の質疑応答】
Q・韓国ポップスが日本で流行したように、アラブ・ポップスが日本で流行することは考えられないか?3つのメッセージを、実際に人々は意識しているのか?

中町・韓国ポップスと違い、政治的知識がないと、共感しにくいだろう。(1つの曲の中でも)3つの帰属意識が渾然一体となっている。実際に聞いている人は区別していないのでは。

Q・中東のアラブ、ペルシャ、トルコの三つの世界の壁は?

中町・壁は高いが、パクリ・バージョンはある。橋渡しをしたのは、イスラーム主義。宗教がないと壁を越えにくいのでは。

Q・アラブ各国に幅広く受け入れやすいカウム的曲は、興行上、有利か?カウムも含め、音楽のメッセージが現実の政治・社会に影響を与えているか?

中町・まんべんなく受け入れられるのは、カウムのはず。だが、実際の社会には、影響を与えていないようにも見える。ナセル時代のように政治的に盛り上がる、ということはありえない。昔のような民族主義ではなく、毒抜きされた民族主義。同情心を喚起するといった、あたりさわりのない主張だ。

(会場からのコメント)歌のメロディーも歌詞も、情緒的共有物である。ともすれば、関心が薄れやすい政治的な情緒、たとえば、パレスチナ問題、アラブの大義といった感情を広める効用はばかにならない。(現実を動かす)潜在的な力になるのでは。具体的にどう動くかは予見できないが、政治的な共通感情というコンテンツとして、よっぽど影響力があるのでは。