アラブ・ポップスから見えるもの(その1)

3年余り前に開いた「カフェバグダッド」最初のイベント「シーシャとエジポップの夕べ」にゲストとしてきていただいた中町信孝氏が、アラブ世界のポップス音楽の現状からアラブ民衆の国家意識を読み解こうという、ユニークな試みを続けている。ちなみに「エジポップ」とはアラブ世界のポップスのことで、中町氏の命名
中町氏は、現在、早稲田大学アジア研究機構の助手で、アラブ中世史の専門家。ふだんは、英国やトルコなどに眠るアラブに関する文献などをあさっているようだ。したがって、「エジポップ研究」は言ってみれば、余技。その余技の研究発表があるというので、早稲田大学を訪ねた。

「ポピュラー音楽に見る現代アラブの帰属意識−民族・国家・イスラーム」とのテーマで、コメンテーターは、やはりアラブ音楽好きという小島宏・早稲田大社会科学総合学術院教授(人口学)が務めた。

中町氏は、加藤博・一橋大教授が示したエジプト人の「アイデンティティ複合モデル」を援用して、アラブ・ポップスの曲が暗示するメッセージの性質を分類していく。

すなわち、
カウム(アラブ民族主義
ワタン(エジプトへの帰属)
ウンマイスラーム主義)の3要素。

まず、カウム(アラブ民族主義)については、2000年9月に勃発したパレスチナの対イスラエル蜂起(第2次インティファーダ)や、イラク戦争をきっかけに数々登場した、アラブ民族主義的アラブ・ポップスを紹介。カウムが色濃い例として、アムル・ディアブの「エルサレムは僕らの大地」や、カーズィム・アッサーヒルの「我を愛せ」を挙げた。

ワタン(エジプトへの帰属)的音楽としては、ナンシー・アジュラム(写真)の「私はエジプト人」、シェリーンの「ナイルの水を飲まなかった?」を挙げた。とりわけ、「私はエジプト人」の中に、ある「血の軽さがエジプト人」といった表現や、「ナイルの水」の中の出稼ぎ先の外国からエジプトに戻れ、とのメッセージに、エジプト愛国主義的メッセージがこめられていると指摘した。

ウンマ的音楽としては、「現代のイスラーム復興の潮流を若者らしくおしゃれに再解釈した」、「『ぷち』イスラーム主義」の傾向が顕著と指摘。具体例として、サミ・ユーセフの「先生」、WAMAの「心から」を挙げた。サミ・ユーセフは、エジプト人カリスマ説教師アムル・ハーリドと仲が良い、というエピソードを紹介しつつ、「若者が遵守しやすい厳しくないイスラームを実践している。セクシーな(シーンのある)ビデオ・クリップとも矛盾しない」と説明した。
(続く)