戦争、そしてメジャーデビュー


【カーゼム・アッサーヘルという歌手3】
1980年のイラン・イラク戦争から、1991年の湾岸戦争までは、イラクが戦争に明け暮れた時期。カーゼムも、イラ・イラ戦争で徴兵されたとも言われる。
いずれにせよ、カーゼムも、イラク国内で苦難の時代を過ごしたことは想像に難くない。米紙「サンフランシスコ・クロニクル」によると、イラン・イラク戦争休戦直後、カーゼムは、「蛇のかみ傷」という曲で、戦争で生命をおびやかされ、期待を裏切られた一人のイラク人について歌った。カーゼムは密かにこの曲のビデオを製作し、それをテレビ放映させようとしたが、政府はこれを発禁処分にした。この処分が、カーゼムの名を国外にまでとどろかせることになったという。
カーゼムとフセイン政権の関係については、さまざまな見方がある。アラブ世界では、「カーゼムとフセイン政権の蜜月」がたびたび非難の対象になってきた。1998年には、ヨルダンで反フセイン派に暗殺されかけた、との説もある。時は下って、イラク戦争直前の2003年2月に、米国ツアーを実施したことについて、「フセイン政権の諜報員」という言われ方をされたこともある。

カーゼムは、1997年、フセイン大統領の長男ウダイ氏の快気祝いに出席した後、両親や兄弟をイラクに残したまま出国、以来、イラクの土を踏んでいない。ウダイに殺されそうになったため、との説もあるが定かではない。いずれにせよ、その2年前の1995年、アラブ世界へのメジャーデビューを果たしていたカーゼムは、アラブ芸能界の中心地・カイロに乗り込み、アラブ音楽界のトップスターへの道をまい進することになる。
(写真は、カーゼムがカイロの自宅に所蔵するカーゼムの似顔絵が描かれたアラブ民族楽器ウード)