時流に挑戦する古典回帰

【カーゼム・アッサーヘルという歌手5】
カーゼムの最新アルバム「Ila Tilmitha」(2004)は、前述の通り、カーゼムがアラブ古典ポヒュラー音楽回帰を一層明確にしたアルバムだ。アラブ音楽界の動向を詳しくフォローしているブログ「のぶろぐ」によると、このアルバムの売り込み戦略への不満などから、カーゼムは最近、所属するレーベル「ロターナ」から離脱したという。
実際、アルバムを聞いていると、「アシュコ・アイヤーマー」「サイエダト・オムリ」あたりは、ウードなどアラブ伝統楽器も交えたオーケストラによる前奏といい、曲調といい、現代アラブ・ポップスを聞き慣れている人ならば、エジプト伝説の歌姫「ウンム・クルスーム」を聞くときと同様の「古くささ」を感じるかも知れない。さらに、「ダーカト・アライヤ」のような曲に至っては、日本でいえば民謡といっていい、伝統朗唱「マッワール」のカテゴリーである。
「アラブ・アメリカン・ニューズ」誌(2002年)は、カーゼムが成し遂げたものは、「ムハンマド・アブデルワッハーブ(クルスームにも曲を提供したエジプトの歌手、作曲家)とともに死に絶えたマカーム(maqam=アラブ伝統の旋律体系)を再興したこと」だとの音楽家の声を紹介している。
また、カーゼム自身も、同誌の中で「私は、フルオーケストラ(編成)による古典的な音に戻りたいと思っている」と語っている。
こうして考えると、「Ila Tilmitha」は、カーゼムが、西洋ポップス音楽を取り込みながら急速に変貌をとげるアラブ・ポヒュラー音楽に、たたきつけた挑戦状であるとのとらえ方もできるかも知れない。だが、このカーゼムの路線が、アラブ世界の若い世代にまで浸透するかどうかは、予断の許さないところだ。いや、今のアラブ・ポップスの流行を見れば、むしろ悲観的にならざるを得ないもかも知れない。

*カーゼムの最新アルバム「Ila Tilmitha」は、東京・渋谷の「タワーレコード」「HMV」などの大型レコード店で入手可能。